ぼくとう春秋

 昭和六十年より平成三年まで月刊。
バックナンバーは当時寄稿いただいた幾篇を掲載。
Web版では執筆関係者により毎月更新。 


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平成二年二月号 元東宮侍従浜尾実氏の忘恩と不遜 杉田幸三

 

 元東宮侍従浜尾実氏の忘恩と不遜

 
   これまた不遜・礼節知らずの
NHK

 

                杉 田 幸 三

 

 中村元、梅原猛両氏の対談(日本人を語る=一月十六

日朝日)の中で中村氏が、次のやうに発言されてゐる。

「……恩というのは、狭い人間関係だけについて考えら

れているが、生きている以上は祖先からも恩を受けてい

るし、あるいは宇宙、自然からも恩を受けている。それ

を自覚して行動するということが、必要じゃないんでし
うか。日本は経済的発展は遂げたけど、同時に道徳面
非常に危機をはらんでいる」

 この御発言に対し対談者のコメントはない。実際なか
たのか編集操作なのかそこまではわからない。

 それはともかくとして、この御発言は大変示唆に富ん

で居る。標題の忘恩、不遜、無礼、物知らずはすべてこ

の恩一字を忘れたか、あるひは顔を背け、或ひは対立的

である所から生ずる。

 さて、もと東宮侍従のことである。先帝の御大喪以来

よく、マスコミに登場する。この人はよほど在職当時い

びられたとみえ、テレビ週刊誌をとはず、いはゆる「開

かれた皇室」論者と言っていい。

 それが今度の礼宮・川嶋紀子さん結納でも出てきてゐ

る。やがてお妃となられる。その前にいろいろ御心得そ

のたを学ばれることが決まってゐる。それについてまた

また顔を出し「私にはいくつか気懸りな点があります」

(週刊新潮一月十八日号)と。そして、そのなかで、皇

室はいかにあるべきかをとくとくとしゃべる。以下<>

のなかが原文。

<「敢て苦言を呈させて頂けば、今の皇室は犢駝韻閥

楽を共にすること瓩鯡槁犬箸靴討い襪噺世錣譴襪里法

実際はどうでしょうか。>

 一寸お待ち頂きたい。今も昔もない。一貫して御皇室

は国民と苦楽を共にしてこられたのだった。かういふ事

実誤認の上にこの人の論理は展開していく。おかしくな

るのも無理はない。

<実際はどうでしょうか。やれテニス、山登り、歌舞伎

柏原芳恵のコンサート……楽は共にしているけれど、苦

についてはどうですか。あの五百二十人が犠牲になった

日航機事故の時も、ヘリコプターなら現場に二十分程で

飛べたにかかわらず、陛下は軽井沢でご静養なさってい

た。>軽井沢でといふのだから皇太子時代の陛下のこと

であらう。

<例えばスコットランド沖の海底油田爆発の時、チャー

ルズ皇太子とダイアナ妃は静養をとりやめて現地へ飛ん

でいるんです」>。

 この発言は明らかに英王室と日本の皇室を同じ次元で

考えて居る。英国に憲法はない。日本にはある。そのこ

ともある。日航機事故と油田爆発との相違といふことも

ある。さういふ細かいことは別としても、実際問題とし

て出来ない相談である。こんな程度の侍従が今の皇太子

の身近に居たのである。宮内庁は総理府のもとにある。

この一事でも慄然たらざるをえない。話は飛ぶが先帝の

おそばにゐた入江侍従長は自ら三大夫と言って居たらし

いが真実困った三大夫でも、先帝に罷免権などないのだ

から御耐えになるしかなかった。

 浜尾氏はなほ得々としゃべる。社会に、いや国を毒す

る者とはかういふのをいふのではあるまいか。

<……陛下が家庭的であることは、もう皆、分かってい

るんです。だから今度は何かあった時には、悲しんでい

る国民のもとに髪をふり乱して駆けつけてくれるような

国民のために必死になって下さる陛下の姿が見たいのだ

と思います。>

 どうもあきれ返った。侍従長の罷免一つ御出来になら

ぬやうにしておいて「髪をふり乱せ」もないものだ。こ

の程度では何十年高貴なお方のおそばに仕へてゐても肝

腎なことが分からなかったわけである。

 先帝の昭和五十年の御製、「祭り」

 わが庭の宮居に祭る神々に世の平らぎを祈る朝朝

 昭和十七年に遡れば、「連峰雲」

 峰つづきおほふむら雲ふく風のはやくはらへとただい

  のるなり

 同八年の、「朝海」

 あめつちの神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たた

 ぬ世を

 肝腎なことはこの「祭り」と「祈り」である。

「宮中のこと第一に神事」である。日本の天皇の祭事と

祈りは私どもの想像を絶する高さと深さを持って居る。

この二点を抜き、いくら百万言を費やしても、日本の国

柄(国の個性・キャラクター)は解らないに遵ひない。

   (二)

 神社新報の一月十五日号に、「NHKに猛省を促す」

といふ投稿があった。昨年、十二月一日、総合テレビで

「歴史誕生――一天両帝 動乱の世紀」に関するもの。

題材は吉野朝。当然「後醍醐天皇」を初め親王方が登場

される。所が、「後醍醐」「恒良」と呼び捨てだったと

いふ。日本人の倫理観に照らしてみてこの投稿者は(非

常識きわまる)と考へた。同感である。抗議の葉書を出

された。回答があった。

 そこには驚くべきことが書いてあった。以下原文。

<「私どもは歴史番組を制作するに当たり、天皇も一庶

民も全く平等の一人間と考えております。そこでその記

述の際には、例えば「尊氏」という言い方と同じレベル

で「後醍醐」という言い方もありえるということです。

むしろ、「天皇」や「親王」だけに敬称をつけて呼ぶこ

とは、『人間はすべて全く平等』という私どもの考え方

に反することになります。従って、今後もこの方針で番

組を制作してゆく所存ですので、御了解戴きたいと思い

ます」歴史誕生係>

 投稿された長野高遠の黒河内靖氏も申されてゐる、開

かれた皇室といふ名の下に、実は皇室の民主化・庶民化

が時の流れであるかのやうに騒いでいるのがマスコミ一

般である。詰まり皇室の品位の俗化といふ之は陰謀とい
てもいい。浜尾某などは見当違ひのアタをしてゐるの
もしれない。しかし,恐らくはNHKの相当部分は確信

犯であらう。としたら、これは反省ではなく、陰険な舌

を出しつつほくそえむに違ひない。さういふ連中に、

「日本は立憲君主制の国で共和国ではない」「天皇の御

一身が形態的に国を代表し国民は法律上恰も国家に対す

る如くに御一身に対し尊崇敬愛の義務を負ふ」(美濃部

達吉)といっても蛙の顔になんとやらであらう。




 

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